恋愛

本作品は、基本的には桂の日常を描いているわけだが、そこには驚くほど恋愛の要素が少ない。林浩と金城和歌子、晴君と森橋笑子などは作中における恋愛要員で、けんかしたり仲直りしたり、それなりの波風も描かれている。ただ主人公の桂が、あまりにも恋愛に疎いのである。それはもう、もどかしくなるほどに。

桂と日和

catそんな中で、やはり日和洋次との、恋愛のような、友人のような、師弟のような関係は、やはり際立って見える。桂にとって日和は、唯一無二の存在であると思う。
桂は高校時代、日和が描いた猫の絵を見たことがきっかけで、美術科に進学を決めた。
神戸に引っ越すことになったのは偶然だが、「あの猫の絵を描いた人がいる街で私も絵を描いてみたい」と思った。
現実の街が描かれ、実際にいそうな大学生の日常を描いた本作の中にあって、日和と桂の関係はまるでファンタジーのようだ。お互いに大事なことは何も知らないようでいて、心の深いところにある他の人には分からない何かで繋がっているような、ソウルメイトのような不思議な関係。物語の中盤で日和は亡くなってしまうが、日和との出来事はすべて桂の空想だった、というオチさえもあり得ると感じさせる。
そもそも、日和という存在には現実味がない。亡くなったのは32歳の設定だが、余命が永くないと自覚していることもあってか、老人どころか仙人のように落ち着き諦観している。そういえば、日和の高校時代、友人の曽谷(そだに)は「日和は地上1mぐらいを浮いてるみたいに生きてる」と評していた。地面に足を踏ん張っていない、と。日和が現実味のない存在として描かれているのは、病気や障害のためではなく、元々そういう人間なのかもしれない。
桂は日和のために普段履かないスカートを履き、どう見られるかを気にし、以前の発言や態度を思い出して赤面する。普通に考えたらこれは恋である。しかも中学生のように(いや、現代じゃそれ以前か)純でうぶな恋である。大学生とアラサー、年齢的には恋愛も十分ありえる話だが、それでいて、恋愛と感じさせない不思議さがある。
映画版では、原作と比べて日和の存在には幾分現実味があった。マンガと違って実写映画では人が演じるので当然か。その分、桂と日和との関係も、現実的な恋愛に近い関係に描かれていたように思う。

桂の恋愛

上述の通り、桂はあまりにも恋愛に疎い。ただ鈴木タカ美曰く、桂は「こっそりモテモテおなご」なのだとか。まあそうだろう、どちらかというともの静かで自己主張が少なく、周囲に流されることもあるが、芯の強さがあって主張すべきことはする。自分の世界に閉じこもりがちな部分はあるが、付き合いが悪いわけではなく、偏見を持たずに人と接する。
物語は、桂が大学を卒業し、働き始めたところで終わっているが、これから桂の人生がどうなっていくか、非常に興味深い。
saito
私としては、同じ研究室で職場も近い斉藤行次(さいとう・ゆきつぐ)などひそかにオススメなのだが、ぼーっとしている行次と、オクテな桂では、まったく進展しなさそうである。