震災

神戸在住を語る上ではずせないのは、震災の描かれ方だ。1998年、阪神・淡路大震災の3年後に連載を開始した本作。20年以上経った今でも、神戸やその近郊では、それは震災以前か以後か、ということが話の基準となることがある。この時期の神戸を語る上で、震災を避けることはできない。
ちなみに、2015年に震災から20年を記念して映画化されたが、ここでは主人公の桂は、1995年、震災の年に生まれ、浪人を経て2015年、20歳の年に神戸の大学に入学する、という設定に変更されている。(劇中、和歌子が「ウチの親、震災カップル」と語る場面があるが、原作では和歌子と林浩こそが震災カップルである。)

当事者としての震災、外から見た震災

震災当時、関東在住とはいえ桂だって高校生で、おそらくニュースなどは見たはず。当事者の和歌子が経験した非日常と対比するのは、桂の日常でもよかったはずだ。だが、対比して描かれるのは、姫路にいた洋子である。姫路もかなり揺れたはずであるが、洋子は地震に気付かず寝ており、現実感がなかなかわかなかった。

私自身、神戸近郊で震災を経験した。自宅では食器が割れる、瓦が落ちるなどしたし、通っていた小学校も蛍光灯が割れたり、停電の影響で飼っていたグッピーが全滅したり、チャイムの調子が悪くなったりなど、それなりに被災した。母などは若いころ神戸で働いていたので、TVで流れる慣れ親しんだ場所の変わり果てた姿に愕然とした様子だった。でも日常生活が壊れることはなく、翌日も普通に登校したし、TVで亡くなった人の名前が流れてもどこか他人事だった。近くで経験したからこその後ろめたさがあり、自分は被災者ではない、震災の本当を知らないと思っている。
私の弟は当時幼稚園生であり、洋子と同様、地震に気付かず寝ていた。幼稚園で先生から、気付いて起きたか問われたが、手を挙げられなくて恥ずかしい思いをし、彼の中でしばらくしこりのようになっていたそうだ。後に、手を挙げていた同級生たちの中にも、実は寝ていて気付かず、よく分からずに挙手していた人もいたようであるが。

洋子も、震災に対して、近くて遠い、あるいは少し後ろめたい気持ちを抱いているのではないだろうか。遠すぎる桂よりもそんな洋子のほうが、自宅が崩壊し避難所で一晩を過ごした和歌子との対比が、かえってはっきりと浮かび上がるように思う。

ボランティアとしての震災

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれる。
それまでは一部の人が趣味で行うもの、と言っても過言ではなかったボランティアが、広く認知され、一般市民が参加するものになった、そのきっかけが、阪神・淡路大震災であった。
情報を集めようと役所に行った林浩が、たまたま近所の小学校でのボランティア活動に従事するようになったように、またあるいは林浩たちのリーダーであった瀬畑(せばた)も、妻と幼い娘を捜しながらの活動であったように、ボランティアする側も、多くがまた被災者であった。
それまでボランティア活動などしたことがなかったような人が、災害ボランティアとして参加するようになったきっかけが、阪神・淡路大震災である。
また、ボランティアとは違うが、「復興」という言葉が、それまで一般的であった「復旧」という言葉に代わって一般的になったのも、震災がきっかけと聞いたことがある。被災した人々や街だけでなく、震災以前と以後ではまったく違ってしまったことはいくつもある。

震災を通して描かれていること

本作の中で、震災は日和の死と並ぶ大きな山であるが、震災そのものだけを描いているわけではない、というところも本作の特徴である。震災を通して描かれているのは、避難所という非日常ではあるものの、その中での日常であり、ボランティア同士や被災者、避難所として受け入れる側の学校、などの人間模様であり、また、身近な人の死という大きな悲しみに触れながら、それでも生きることである。その根本は、他の部分と何ら変わりない。