作品の特徴

『神戸在住』を読み始めるとき、ハードルがあるとすれば、独特の絵のタッチと、文字の多さだろう。特に1巻は、キャラクターデザインが不安定で白場も多く、その隙間を手書きの文字が埋める。慣れれば、この独特の絵に味があると感じられるのだが、最初はぐっとこらえて読み進める必要がある(人によるが)。しかし、キャラクターの内面の描写やストーリー展開、細かすぎて気付かないような伏線など、読むたびに新しい発見があり、回数を重ねて読みたくなる作品である。

独特な絵

基本的にすべてがフリーハンドの線で表現されている。スクリーントーンを用いない。どころか、基本的にべた塗りもない。髪などの黒い部分は横線で、線の間隔によって濃さや色を表現している。
例えば下の絵。真ん中の短髪の女性、洋子の髪は赤で、浴衣も赤地に菊一輪である。その右の和歌子の浴衣は茶色、左の桂は紺地である。そう言われて見るとそんな気がしてくる。

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komaコマの枠もフリーハンドで引かれている。この柔らかさが、作品の雰囲気を作っているように感じる。
木村紺氏の他の作品を見てみると、少なくともコマの枠に関しては、必ずしも常にフリーハンドというわけではなさそうなので、本作品の雰囲気に合わせた工夫なのかなと思う。

highちなみに高校時代の回想は、コマの枠に線を重ねている。桂自身の記憶の中にあるできごとなので、曖昧な輪郭ですこしぼやけた様子を演出しているのだろうか。あるいは、桂自身、高校に上がったばかりの頃の記憶を「なぜか色彩に欠けている」と述懐しているので、そんな様子を表現しているのかもしれない。

black日和が死んだ前後の桂の回想では、黒い背景の上に白い文字でモノローグが書かれるなど、全体的に画面が暗い。何か話そうとした日和に対して何もできなかったこと、具合が悪くなったことに気付かなかった後ろめたさ、心の支えにしてきた人を失って暗く沈んだ気持ち、閉じた心を表現しているかのようである。

white対して日和の絵と初めて出会ったときのことを桂が回想している場面では、全体的に少し白っぽい画面になっていて、夢の中のような、もやがかかったような演出がされている。テキストが、他の部分と違って明朝体であるのも、なるべく細い文字にしようとしたからだろうか。

こういう細かい表現の工夫が緻密な作品である。

膨大な情報量

上記の通り、主人公のモノローグが多い本作。まるで、桂自身が日記を付けているようである。モノローグはコマ内では活字で、コマ外では手書きの文字で書かれている。すべての文字をきちんと追うと、読むのにかなり時間がかかる。
また、伏線というほどのことではないかもしれないが、序盤に1コマだけ出てきた人が巻を進めると主要人物になったり、何気ない会話が実は重要な話の一部だったりするのも、本作のおもしろいところである。
4巻で、桂がタカ美と一緒に心斎橋に行った際、タカ美の行きつけの服屋の店長が「そや純子ちゃん死んだやん?あれやっぱタカ美ちゃんいびったからなん?」と話すシーンがある。そして10巻では、タカ美から桂に、高校時代の友人「ジュコちゃん」の死による心の傷を告白するシーンがある。4巻では小さいコマだし、日常の会話のようで何気なくスルーしてしまうが、実はタカ美にとって大きな出来事だったのだ。こういう、気付かなくても問題ないような小さな伏線とその回収が、物語の至る所に存在する。

扉絵

t2各話の扉絵は、神戸の情景と、その物語を象徴する桂の顔、背景に植物、というのが基本的な形である。
特に神戸の情景のスケッチは、かなり緻密に描かれている。
この背景の植物が、震災の回では割れたコンクリートだったり、日和の死を回想する回では真っ黒だったりと、こちらも物語の中身に合わせて工夫が見られる。

カバー下

『神戸在住』を語る上ではずせないのが、カバー下の2コママンガである。本編の繊細さとはかけ離れたぶっ飛び具合。
どこを切り取ってもまったく意味がなく、意味が分からない内容である。

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それでいて、最終巻には2頭身でキャラクターを大集合させてしまうところがなんとも心憎い。

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ちなみにこの中で、女性の全員集合のほうで1人、男性のほうで2人、誰か分からない人物がいる。
女性のほうは後列右端の人物、男性のほうは中央の林浩の後ろと、左のほうで伊達先生の後ろに立っている短髪の人物。ご存知の方がいたら教えていただきたい。

これだけでもかなりの人数がいるが、例えば桂と同じマンションの渡口さん、林浩と友達以上恋人未満だった留学生の黄高麗など、ここに描かれていないキャラクターもいて、この作品のキャラクターの多さと、実はちゃんと一人ひとり描き分けられていたのだということを改めて実感する。