生と死

本作では震災をはじめ、多くの人の死が描かれている。そしてその傍には、悲しみに打ちひしがれたり、後悔や罪悪感に苛まれたりする、多くの生きる人がいる。身近な人の死を乗り越えて、それでも続く日常を生きる人の姿が同時にあるのである。そんな姿を通して、死をただ人生の終わりとして描くのではなく、日常の生の延長として描いているように感じる。
一人の人間の人生が終わり、再び会うことはできない以上、何らかの後悔が残ってしまうのはよくあることである。それでも残された者は、思い出も後悔も、良いことも悪いことも、抱えて生きていくしかない。そんなメッセージが込められているように感じるのは、考え過ぎだろうか。

桂の経験

桂は、祖母の死、そして飼い猫「たんぽぽ」の死の影響を大きく受けている。
体の弱い弟にかかり切りだった両親の代わりに、いつも桂の傍にいて、愛を注いでくれた祖母。祖母が大切にしていた花器を割ってしまい、隠すために嘘をついたことを謝れないまま、祖母は他界してしまう。小学2年生だった桂が、祖母の死を受け入れられなかったのは無理からぬことだ。そもそも、死という概念を理解しているかも怪しい年頃である。祖母が亡くなったことを理解したとき、傍にいてくれたのは母であった。
たんぽぽは桂が幼少の頃に拾ってきた猫で、桂が高校1年生になった年まで生きた。桂が誰とも関わりを持とうとしなかった時期で、飼い猫が死んでも反応は薄く、変わらない日常を過ごそうとしていた。猫のときは高橋愛が気付き、そこから桂はまた他者との関わりを持つようになる。

タカ美の経験

桂とタカ美は正反対のようで非常によく似ている。身近な人の死に後悔の念を抱いていることも、人の輪が広いようでいて、肝心なことはなかなか打ち明けられないところも。
鈴木タカ美もまた、高校時代の友人「ジュコちゃん」の死から立ち直れていない。友人の自殺に直面したせいだけでなく、最後まで泣けなかったことによっても傷つき、人が死んだときにどんな顔をすればいいか分からなくなってしまった。
桂もまた、祖母の死、そして飼い猫の死のあと、しばらく実感がなく、泣けずにいた。母や、愛が傍にいて、受け入れてくれから、安心して泣けたのではないだろうか。タカ美の傍には誰がいただろう。タカ美は母親と仲が良いが、姉妹のよう、と桂は表現していて、もしかすると、なんでも受け入れて傍にいてくれる存在ではなかったのかもしれない。

日和の死

そんな桂とタカ美の関係は、日和洋次の死によって、修復不可能ではないかと思われるほどの亀裂が入る。桂が日和の死を知ったのは、タカ美が「日和さん死なはったってホンマ?」と聞いたからだ。もちろん、タカ美に罪はない。だがタカ美自身もまた、上述のような後ろめたさからであろう、落ち込む桂に声をかけることも、慰めることもできず、気遣わしげに見つめるだけであった。
だが、そんな時間を経て、そして心の傷を打ち明けたからこそ、二人の間に本当の友情が生まれたのではないだろうか。どんなに親しくなり共に行動していても「辰木さん」「鈴木さん」と呼び合っていた二人が、最終巻でようやく、「桂ちゃん」「タカ美ちゃん」と呼び合うようになる。大学卒業後もきっとかけがえのない友人として、交流を続けていくのだろうと想像できる。
また、最終巻で桂は、祖母、たんぽぽ、そして日和の夢を見る。それは穏やかで懐かしいような情景である。